「分かりやすい〜」系コンテンツは本当に有難いのか

『分かりやすさ』という病

書籍やテレビ、インターネットコンテンツに目をやると、世で「分かりやすい〜」というネーミングが持て囃されていることが分かる。果たして「分かりやすい」ことは「いいこと」なのだろうか。寧ろ「分かりにくい」ことこそ大切なのではないか。そんな素朴な疑問から久々に記事を書いてみた。
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時間の多層性とは? ポップソングにおける時間体験を分析してみる②

『回想と再編成の時間(メタ的な時間)』

今回は、坂本龍一「thatness and thereness」の歌詞をもとに「回想と再編成の時間(メタ的な時間)」について書いてみたい。(前回は、ポップソングにおける時間体験について、「いま・ここ」「リニア(直線的)な流れの時間」の2つの視点から書いた。) “時間の多層性とは? ポップソングにおける時間体験を分析してみる②” の続きを読む

時間の多層性とは? ポップソングにおける時間体験を分析してみる①

『いま・ここの時間、リニアな流れの時間』

時間とは不思議なものだ。なぜこんなことを言い出すのかというと、以前の投稿でシティポップに感じる「不思議なノスタルジー」について書いたことが、きっかけだ。海外のリスナーが、2019年の今、1970年代や80年代の日本の音楽を、「懐かしさ」と「新鮮さ」がないまぜになった独特の感覚で聴いている。「過去と現在と未来」が交錯する時間。そんな時間体験を、ポップソングを通じて分析してみることにした。

ところで久々の投稿になってしまった。今回は、以前のコメントのリクエストにお応えする内容となっています。 “時間の多層性とは? ポップソングにおける時間体験を分析してみる①” の続きを読む

ひろゆき「論破力」にツッコンでみる

『ひろゆき「論破力」は良書なのか?』

ひろゆきの新著である「論破力」が出版された。世に出ている感想を読むと概ね好評のようである。だが、逆にあまりツッコマれていないのも気になるところ。当ブログでは、奇しくも数回前に「ひろゆきの論破方法」について記事を書いたところでもあり、今回はその記事が妥当だったのか検証しつつ、新著「論破力」にツッコミどころがないか探ってみたい。 “ひろゆき「論破力」にツッコンでみる” の続きを読む

「ひろゆきはなぜ論破されないのか?」 ひろゆきの論破方法からディベートを考える③

『炎上のメカニズム』

前回は手強い論客であるひろゆきへの反撃方法を通じて、ディスカッションにおける「語義の共有の重要性」について触れた。今回はまず、ひろゆきが持論の不完全さを認めた例を紹介する(原因は、あるワードの定義をツッコまれたこと)。さらに、語義が曖昧ゆえに炎上が起きてしまった、杉田水脈議員の「生産性」発言を通じて、「炎上のメカニズム」について考えてみたい。 “「ひろゆきはなぜ論破されないのか?」 ひろゆきの論破方法からディベートを考える③” の続きを読む

「ひろゆきはなぜ論破されないのか?」 ひろゆきの論破方法からディベートを考える②

『ひろゆきへの反撃方法』

前回はメディアにおける様々な討論において、彼特有の論破力を発揮し、多くの論客を困らせる「ひろゆきの論破戦略」について書いた。今回は「ひろゆきへの反撃方法」について述べつつ、(ディベートではなく)ディスカッションという共同作業を成立させる難しさについても触れたい。 “「ひろゆきはなぜ論破されないのか?」 ひろゆきの論破方法からディベートを考える②” の続きを読む

「ひろゆきはなぜ論破されないのか?」 ひろゆきの論破方法からディベートを考える①

『ひろゆきは相対化のプロ』

当ブログでは音楽・映画の投稿が続いてきたわけだが、ここは気分転換に話題を変えてみようと思う。2chを産み出したことにより世間に名を馳せたひろゆき氏。ネットで見る限り論破力がめっぽう強くかなり厄介な論客として世の知識人達を困らせているようだ。今回は討論におけるひろゆきの論破術を通じて、ディベート(及びディスカッション)を成立させる難しさや、炎上がなぜ起こるかについても考えてみたい。 “「ひろゆきはなぜ論破されないのか?」 ひろゆきの論破方法からディベートを考える①” の続きを読む

黒澤明の映画に登場する女性ってどうよ?①

  1. 『いまいち魅力的じゃないかも?』

映画は大好きなんですが、恥ずかしながら黒澤映画をきちんと見たことがなかった自分。最近は数百円も出せばダウンロードできる有難い時代なので、ちょっと寝れない夜なんかに黒澤映画を見たんです。すると止まらない止まらない“黒澤明の映画に登場する女性ってどうよ?①” の続きを読む