「分かりやすい〜」系コンテンツは本当に有難いのか

『分かりやすさ』という病

書籍やテレビ、インターネットコンテンツに目をやると、世で「分かりやすい〜」というネーミングが持て囃されていることが分かる。果たして「分かりやすい」ことは「いいこと」なのだろうか。寧ろ「分かりにくい」ことこそ大切なのではないか。そんな素朴な疑問から久々に記事を書いてみた。
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80年代ソングとシティポップのルーツとは?②

『モータウン、甘く危険なメジャーナインスコード』

今回はまず、80年代前半にイギリスで流行ったニューロマンティクスのアーチストに注目する。前回取り上げたカルチャークラブも含め、ビジュアル面で注目されがちだが、そのルーツを探ると、モータウンなどR&Bの影響が色濃いことがわかる。

そして後半は、ニューロマのアーティストでもあるスパンダーバレエの名曲「トゥルー」を取り上げる。あの印象的なイントロのギターフレーズも含め、この曲特有の魅力はどこから来るのか、山下達郎と比較しながら探っていきたい。

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80年代ソングとシティポップのルーツとは?①

『ベースラインからそのルーツを探る』

当ブログで度々取り上げた竹内まりやの「プラスティックラブ」。今回はその印象的なベースラインに注目しつつ、ルーツを探ってみることにした。するとやはり、R&Bやソウルに辿り着く。振り返れば、80年代のヒットソングの多くは、モータウンやファンクなどR&Bの影響を受けているのだ。

R&Bで面白いのは、その印象的なサウンドが、共有財産であるが如く皆にシェアされ、継承されていくこと。その結果、それが太い鉱脈の如く、後の音楽シーンに引き継がれていく。今回は80年代ソングのベースラインを通じて、R&Bやソウルのヒットソングへの影響力を探っていきたい。 “80年代ソングとシティポップのルーツとは?①” の続きを読む

竹内まりや「Plastic Love」削除(続報!)

『Plastic Loveが公式でyoutubeに復活!?』

前回の記事では、竹内まりや「Plastic Love」のyoutube動画において、「再アップロード→再削除」の不毛な状況が起きていることを書いた。求められる対応として、ダウンロード販売開始や、vevoなどの公式アップロードを提示した矢先、なんとついにvevoから公式アップロードされたようなのだ。今回はその動画を紹介しつつ、他の注目動画も紹介したい。 “竹内まりや「Plastic Love」削除(続報!)” の続きを読む

竹内まりや「Plastic Love」の削除は誰得なのか?

『2000万再生を誇るシティポップの名曲がyoutubeから削除』

前回の記事でも触れた、竹内まりやのPlastic Loveが削除されてしまった。著作権を鑑みれば当然とも言える措置だが、どうも納得がいかない。というのもアーティスト、レコード会社、そしてリスナーの誰も得しないと思われるからだ。vevo等の様にyoutubeへのofficialアップロードが増える昨今の状況で、今回の削除に果たして前向きな意味があるのか、検討してみたい。 “竹内まりや「Plastic Love」の削除は誰得なのか?” の続きを読む

シティポップはなぜ海外でウケるのか? …人気の理由に迫る②

『不思議なノスタルジーと憧憬』

前回は海外でシティポップの人気が出ている理由として、体験したことのない出来事への「不思議なノスタルジー」を挙げた。海外の多くのリスナーにとって、80年代の日本は未体験だからだ。今回は「不思議なノスタルジー」をさらに分析して、その正体に迫りたい。 “シティポップはなぜ海外でウケるのか? …人気の理由に迫る②” の続きを読む

「ひろゆきはなぜ論破されないのか?」 ひろゆきの論破方法からディベートを考える③

『炎上のメカニズム』

前回は手強い論客であるひろゆきへの反撃方法を通じて、ディスカッションにおける「語義の共有の重要性」について触れた。今回はまず、ひろゆきが持論の不完全さを認めた例を紹介する(原因は、あるワードの定義をツッコまれたこと)。さらに、語義が曖昧ゆえに炎上が起きてしまった、杉田水脈議員の「生産性」発言を通じて、「炎上のメカニズム」について考えてみたい。 “「ひろゆきはなぜ論破されないのか?」 ひろゆきの論破方法からディベートを考える③” の続きを読む

「ひろゆきはなぜ論破されないのか?」 ひろゆきの論破方法からディベートを考える②

『ひろゆきへの反撃方法』

前回はメディアにおける様々な討論において、彼特有の論破力を発揮し、多くの論客を困らせる「ひろゆきの論破戦略」について書いた。今回は「ひろゆきへの反撃方法」について述べつつ、(ディベートではなく)ディスカッションという共同作業を成立させる難しさについても触れたい。 “「ひろゆきはなぜ論破されないのか?」 ひろゆきの論破方法からディベートを考える②” の続きを読む

「ひろゆきはなぜ論破されないのか?」 ひろゆきの論破方法からディベートを考える①

『ひろゆきは相対化のプロ』

当ブログでは音楽・映画の投稿が続いてきたわけだが、ここは気分転換に話題を変えてみようと思う。2chを産み出したことにより世間に名を馳せたひろゆき氏。ネットで見る限り論破力がめっぽう強くかなり厄介な論客として世の知識人達を困らせているようだ。今回は討論におけるひろゆきの論破術を通じて、ディベート(及びディスカッション)を成立させる難しさや、炎上がなぜ起こるかについても考えてみたい。 “「ひろゆきはなぜ論破されないのか?」 ひろゆきの論破方法からディベートを考える①” の続きを読む

お気に入りYouTuber紹介「Ikko’s films」②

『乾いたタッチの日常動画が真骨頂』

前回は不思議な魅力に溢れたラーメン動画を紹介した。だがIkko動画のジャンルは多彩である。ここでは、さながらドキュメンタリーの如く日常を切り取る動画に注目したい。自分はこれこそがIkko動画の真骨頂だと思っている。 “お気に入りYouTuber紹介「Ikko’s films」②” の続きを読む