竹内まりや「Plastic Love」の削除は誰得なのか?

『2000万再生を誇るシティポップの名曲がyoutubeから削除』

前回の記事でも触れた、竹内まりやのPlastic Loveが削除されてしまった。著作権を鑑みれば当然とも言える措置だが、どうも納得がいかない。というのもアーティスト、レコード会社、そしてリスナーの誰も得しないと思われるからだ。vevo等の様にyoutubeへのofficialアップロードが増える昨今の状況で、今回の削除に果たして前向きな意味があるのか、検討してみたい。

・Plastic Loveの販売事情

最初に、Plastic Love の動画が違法アップロードであった点は充分認識している。だが、2000万再生になるまで放置されていたのは、ある意味権利者側の確信的なもの(わざと)だと思っていた。

というのも、Plastic Love はダウンロード販売がされておらず、聴く方(特に海外のリスナー)も悪意というよりは止むに止まれずyoutubeに頼っていたというのが本音だからだ。その上で動画放置が、長い目で見れば(ブランディングも含めた)利益面でもベターなのかもしれないと思っていたのだ。

竹内まりやに限らず、山下達郎の旧作の多くもダウンロード出来ない。ここで勿論、誠意を尽くすとすれば、CDを購入するということになるが、その場合、

CD購入→パソコンに取り込んでデータファイル化→携帯などにデータ移行

の煩雑な作業が必要になる。日本国内ならまだしも海外のリスナーの場合、まずはCD購入のハードルだって高くなるはずだ。そう考えると、権利者側の対応としては次に挙げるいくつかのやり方が、ベターな方法として考えられる。

・求められる対応

①ダウンロード販売を開始する。

②youtubeへofficialアップロードを行い、宣伝効果を期待しつつ、広告収入を得る。

③vevoなどの形で②のアップロードを行う。

①がリスナーにとっても権利者側にとってもwinwinに思われるが、コストとの兼ね合いでペイしないのだろうか。それともCD利権のようなものがあってそれを保持したい立場があるのか。

対象が日本人のみならCDにこだわるのも分からなくはないが、今やPlastic Loveを求める人の多くは海外のリスナーである。CDを個人輸入させるより、ダウンロード販売の方がはるかに利益が上がると思われる。

②の形もありなはずだ。百歩譲って①はコストや利権が絡んで実現出来ないとしても、②の形であれば、Plastic Love を求めるリスナーもofficialなので堂々と視聴できるし、権利者側にも広告料が入る。また宣伝効果によってネームバリューが上がり、別の曲へも売り上げが波及するかもしれない。①に次ぐwinwinの形と言えよう。

③のvevoも、youtubeへの権利者公認のアップロードの形だ。だが、どうやらこれは海外のレコード会社が対象のようで、実現は難しそうだ。

しかしここで言えるのは、②③の形が一般化しているように、曲がダウンロードされずにyoutubeで視聴されたとしても、広告料や宣伝効果を含め、トータルでペイするような時代が来ていることだ。

・動画削除は誰得か?

では①〜③が様々な事情で実現されない場合、動画削除はベターな手段なのか? 著作権保護という視点のみで言えばそうであろう。

だが、アーティスト、レコード会社、リスナーの利益というトータルの視点で見れば、(ダウンロード販売を始めない限り、)むしろ動画を放置した方が長い目で見て、利益が大きいのではないだろうか。

①のように、多くのリスナーから求められているダウンロード販売を行わず、②③のように広告料で権利者が保護される形も取らない。その上で、リスナーが最も触れやすいyoutube動画を削除すれば、宣伝効果も廃れてしまう。

つまり、現行リスナーをがっかりさせるだけでなく、多くの潜在的なリスナーまでをも殺してしまうのだ。動画削除は「誰が得なのか?」と考えてしまう理由である。

リスナー側の多くは、ダウンロードやApple Music ,Amazon Music ,Spotify などを通じてアーティスト側にペイしたいはずだ。公式に売ってくれた方がよっぽど有難いのだ。

・シティポップ現象への波及

そして何より、ここ数年のシティポップ現象。そのアイコンであるPlastic Loveの削除は、大袈裟な言い方をすれば、音楽文化的な盛り上がりの喪失とも思える。以前の記事にも書いたように、2000万再生の動画コメント欄には、様々な国からの様々な声が載せられていた。

それは、異文化コミュニケーション的にも、文化人類学的にも興味深いものであり、コメント欄だけでも復活して欲しいぐらいだ。そこでの情報交換から、新たなムーブメントすら生まれ得るかもしれない。そんな魅力もあったのだ。今後予測されるのは、再アップロード→再削除のイタチごっこだが、果たしてそれが生産的なものなのか、甚だ疑問である。

というわけで、著作権保護の大切さは重々分かった上での話だが、今回の動画削除で守られた利益より、削除せずに「宣伝効果とムーブメント維持」に期待した方が、権利者にとってもリスナーにとってもトータルではまだプラスなのではないかと考えてしまうのだ。

勿論、知識不足の浅はかな指摘なのかもしれない。その場合は筋違いの記事を謝ろうと思う。ただ、一番なのは①。ダウンロード販売してくれれば、竹内まりやも山下達郎の旧作もすぐにでもダウンロードするのに…。

*なんとvevoによる再アップロードがされた模様。詳細は次の記事へ(ただしフェイクの恐れもありますが…)

ついに公式PVがアップロードされました。詳細はこちらへ。(そして2000万再生された動画も復活!)

 

お気軽にコメントを↓

“竹内まりや「Plastic Love」の削除は誰得なのか?” への4件の返信

  1. 山下達郎のRide On Time、吉田美奈子の恋は流星、
    竹内まりやのPlastic Love、このあたりの曲、ユーチューブでは、
    削除されています。今の若い人にも、絶対に染みる楽曲なのに。
    個人的には、恋は流星、CDで手に入れようと考えています。

    吉田美奈子について、掘り下げる記事、期待します。J-Pop史で、
    時間を真正面からテーマにして歌ったアーチストは、吉田だけ。

    1. コメント有難うございます。
      吉田美奈子は坂本龍一のコーラスのパワフルさが印象的です。歌詞にはあまり目を向けていませんでした。

      確かに、山下達郎の「いつか」は内省的な歌詞ですね。また掘り下げる楽しみが増えました。

  2. こんにちは。
    達郎さんのライブへ行ったら「WEBへアップすれば世界的なヒットがっていわれるが、嫌な人もいるんです」っていってました。ラジオ番組では「今や著作隣接権はゴミ溜めに放り込まれたような状態で」ともいってましたが。ご当人のこだわりがあるんでしょうね。
    ここのところ私は海外の人、主に若い女の子、とメッセージ交換したりするんですが、海外の人に日本の音楽を紹介するにはYoutubeが圧倒的に便利です。ただ削除されることも多いので、比較的残ってそうなリンクを教えてあげるんですが。海外ではspotify のような配信サービスが一般的なようですね。

    1. コメント有り難うございます。

      達郎さんのコメント面白いですね。youtubeなど、ネット配信経由で消費されるスタイルは嫌なのでしょうか。著作権の問題は深刻ですしね。

      ただ私の様に、旧曲をお金を払ってダウンロードしたいリスナーもいます。ダウンロード出来るアルバムはほんのわずか。レコード会社に何とかして欲しいんですよね。誠実に対価を払いたいリスナーはいるはずなので。

txt87 へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください