『不思議なノスタルジーと憧憬』
前回は海外でシティポップの人気が出ている理由として、体験したことのない出来事への「不思議なノスタルジー」を挙げた。海外の多くのリスナーにとって、80年代の日本は未体験だからだ。今回は「不思議なノスタルジー」をさらに分析して、その正体に迫りたい。
・シティポップのルーツ
シティポップの音楽的なベースにAORやR&Bがあるとよく言われる。AORは70年代から、R&Bはさらにそれ以前から英米の音楽シーンに影響を与え続けているとすれば、今の海外のリスナーが年令を問わず、シティポップに懐かしさを感じたとしてもおかしくはない。次の2曲はほぼ同時期に出たものだ。(因みに、シティポップのアイコンである竹内まりや「Plastic Love」も1984年のリリース)
テレフォン・ナンバー
大橋純子
1984年
What Cha’ Gonna Do for Me
チャカ・カーン
1984年
ボズ・スキャッグス、ボビー・コールドウェル、チャカ・カーンや、その影響があるアーティストを聴いたことがあるリスナーは、日本のシティポップに音楽性の面から懐かしさを感じたとしてもおかしくはない。
だが、それだけで今起きているようなシティポップ現象までに至るだろうか。音楽的類似だけでは、単に「〜と似ているね。」だけで済まされるはずだ。ここで、シティポップの独自性について考えてみたい。
・シティポップの独自性
①日本語の響き
やはり日本語の響きは何らかの特異な印象をもたらす。大貫妙子が人気なのは、彼女の浮遊感のある歌声と日本語の響きがマッチしているからだろう。
また日本語は、単にエキゾチックな印象をもたらすというより、③同様、日本=アニメ、及び近未来という連想にも繋がっていると思われる。実際、vaporwave(日本の80年代ポップスなどをサンプリングネタとする音楽ジャンルで、断片的なアニメ映像とともに紹介されることが多い)の映像の多くは日本のアニメシーンからの抜粋であり、サイバーパンク的なメカニックなイメージも多々見られるのだ。
②コード進行の特性
シティポップにはアメリカのAORとはまた異なった、日本人好みのコード進行も多用される。松任谷由実はその代表だろう。メジャーなのかマイナーなのか、調性が曖昧な、それでいて統一感のある進行はシティポップ特有のものだ。
また菊地桃子は単にアイドルとして片付けられがちだが、プロデューサーは林哲二。日本的メロディーに清涼感のあるアレンジワークを加え、海外ではシティポップを代表する歌手として認識されている。
③テクノとの親和性
日本語の響きが日本のハイテクイメージを喚起するのは、AKIRAや攻殻機動隊などのサイバーパンクものに触れた人にとっては、想像に難くないだろう。なにしろ80年代の当時すでに、「ドモアリガト、ミスターロボット」なんて曲(styx)が流行ったぐらいなのだ。
佐藤博の次の曲は、打ち込みメインで独特なグルーブを産み出しており、シティポップの代表作として認知されている。
SAY GOODBYE
佐藤 博
1982年
細野晴臣もやはりシティポップの代表的アーティストだが、「sports men」は完全にテクノ寄りで面白い。(原曲は1982年にリリース)
SPORTS MEN (2018 Yoshinori Sunahara Remastering)
細野 晴臣
・シティポップ人気の源泉
以上を踏まえると、
音楽的ノスタルジーに独自の魅力が加わり、知らない時代や場所への不思議なノスタルジーや憧憬をかきたてる。
これが、シティポップ人気の源泉ではなかろうか。この不思議なノスタルジーと一般的なノスタルジーを比較してみよう。
「一般的ノスタルジー」
過去の自分への共感や癒しをもたらすもので、ネガティヴなイメージが後景化し薄まる。それにより、少なからず美化作用もあるといえる。
「シティポップのノスタルジー」
音楽的ノスタルジーとともに、様々な日本のイメージが喚起され、体験し得なかった過去への擬似ノスタルジーが産まれる。またそれは、実体験ではないゆえに美化作用が加速し、ある種の憧憬も産みだす。
美化作用を担うのは、シティポップにまつわる様々なイメージだ。vaporwaveに見られる、アニメのワンシーン、都会の洗練された風景(高層ビル、夜景、車…)等々。それらは体験し得なかった理想郷にもなり得る。
80年代を実体験していた日本人であれば、まさに実体験ゆえに、美化作用にも限界があるだろう。海外のリスナーはその美化作用を加速させる。
シティポップは確かに製作クオリティの高い音楽だ。だが、日本人が想像する以上に海外のリスナーにウケている。その理由は、外国人だからこそ体験できる、異郷へのノスタルジーと憧憬によるものではないだろうか。
最後に山下達郎のカバーを紹介したい。ファンクな「merry go round」やビーチボーイズを連想させる「magic ways」などではなく、「あまく危険な香り」をカバーする辺り、シティポップの浸透ぶりが伺える動画だ。
Geno Samuel – あまく危険な香り(山下達郎 cover)(↑下線クリックで読めるコメント欄からも、海外のリスナーの認知度が分かる)
※「あまく危険な香り」の魅力をコード進行から分析してみました。(スパンダーバレエの「トゥルー」とも比較しています。)→こちらへ
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チャカ・カーン、彼女の前にホイットニー・ヒューストン、そしてダイアナ・ロス。このR&Bの系譜が、90年代終わりに、完全に途切れてしまいました。
コメント有難うございます。
90年代終わりと言えば、ヒップポップ、ラップの隆盛とともに、R&Bもサンプリング風味のものが目立ち始めた気がします。
個人的には、それでもR&Bは生き残るしぶとさがあると思っています。半分願望込みですが…。
人気の源泉のくだり自分になかった考えで興味深く読みました、海外からの再評価で残っていく曲が増えれば良いことかなと、ムッシュみつけてくれないかなぁ個人的な希望ですw
コメント有難うございます。
人気の源泉については、youtubeのコメント欄を見て不思議な感覚だなと思ったのがきっかけです。
また掘り下げてみる機会があると思いますので、お立ち寄り頂ければ幸いです。
日本人がアイリッシュ音楽聴いて、ノスタルジーや憧憬を感じるのと同じようなものか
コメント有り難うございます。
おっしゃる通り、逆パターンもありますよね。実体験はなくとも何らかの共通のエッセンスがあれば、異文化へのノスタルジーは可能ということかもしれません。