『ひろゆきは相対化のプロ』
当ブログでは音楽・映画の投稿が続いてきたわけだが、ここは気分転換に話題を変えてみようと思う。2chを産み出したことにより世間に名を馳せたひろゆき氏。ネットで見る限り論破力がめっぽう強く、かなり厄介な論客として世の知識人達を困らせているようだ。今回は討論におけるひろゆきの論破術を通じて、ディベート(及びディスカッション)を成立させる難しさや、炎上がなぜ起こるかについても考えてみたい。
まず最初に、ひろゆきは「相対化」のプロである。つまり、誰かの意見に対して、「必ずしもそうとは言い切れないでしょう」ということを実に巧妙にぶつけてくる。そして多くの場合、彼がやっているのは「それだけ」なのだ。では、何故それが強力なディベートになるのか。
世の中の大抵の議論は簡単に白黒つけられるものではない。つまり何かしら反論の余地があり「相対化」可能である。それを大前提とした上で、彼の戦略はこうだ。
・ひろゆきの戦略
①相手が前提としていること(常識だと思い込んでいること)を否定する。
→相手は虚をつかれ、冷静さを失う
②相手の盲点を突く例や知識を提示する。
→相手は、信じていた自分の前提が実は危ういのではないかと、不安になる
③生産的な議論(ディスカッション)によって結論を出すことを目標とせず、あくまで相手の固定観念を覆すこと(ディベート)に徹する。(そのため細かな場合分けや条件を考えず、白か黒かの議論に持ち込む)
→相手は、誤った固定観念を主張していたのではないかと負い目を感じ、議論に条件づけを行うなどの冷静な反撃が出来なくなる。
・勝間和代論破事件
具体的な例を挙げよう。
まずは、有名な「勝間和代論破事件」である。
ここに動画を上げることは出来ないが、「デキビジ」という番組に出演した時のことだ。そこで「ネット掲示板の管理人(ひろゆき)は、そこで起こる問題についてどこまで責任を持つべきか」という議題になり、「責任論」を主張する勝間和代をコテンパにしてしまったのだ。
①勝間の前提: ネット掲示板の匿名性は誹謗中傷を助長する
→だから管理人は責任を持つべきだ
ひろゆきの反論: ネット掲示板に問題があるわけではなく、実社会と同様に犯罪はあくまで個人差の問題だ
→だから管理人は責任を問われない
②勝間の例: 実社会では個人が実名であることで責任や信頼が生まれるが、ネットは異なる
→ネットの匿名の人間に信頼を持てない以上、実名化するなど、何らかの管理や制限を設けるべきだ
ひろゆきの反例: 実名だろうと匿名だろうと犯罪者の特定コストは変わらない
→犯罪が起きたら特定すればいいだけの話だ
③勝間の動揺: 匿名性に問題があるという大前提を勢いよく否定され、どこから議論すればよいのか「議論の焦点」が曖昧になり、疲弊するとともに冷静さを失う
ひろゆきの戦略: あくまで「犯罪者の特定コストの差」という白黒がつく議論に持ち込み、勝間の側からの相対化を回避する
・勝間の敗北
因みにこの後「写像」という言葉を巡り、揚げ足取りのようなやり取りがあるのだが、勝間がそれを「説明する気にならない」という旨の言葉を言った時点で勝負あったようなもの。
なぜなら、ひろゆきとよく議論する作家の東浩紀が言うように、「自分たちだけに通じる言葉や常識で議論を進めること」こそが、ひろゆきの格好の餌食になってしまうからだ。(こと地位のある人間が持つ固定観念を相対化して覆すことに対して、ひろゆきはある種の情熱を燃やしている節がある。)
では、ひろゆきに対してどう反撃すべきなのか? 次回の投稿で検討してみたいと思う。
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