なぜプログレだけリバイバルしないのか?ソフトマシーン来日公演に思う

『ソフトマシーンが来日していた』

テクノ、パンク、グラムロック、80年代ポップス等、数多ある音楽ジャンルは、大抵一度ぐらいはリバイバルしている。だが、プログレというジャンルのみ、70年代の最盛期以降まともにリバイバルしたことがない。個人的には世界の七不思議の一つに入れてもらいたいぐらいである。今回の投稿では、ソフトマシーンの来日公演を機に、リバイバルしない理由とともにプログレの魅力について改めて考えてみたい。

実のところ、ソフトマシーン来日公演を見逃してしまったのだ。その悔しさでモヤモヤしていたところ、最近更新が滞っていたブログを更新するチャンスだと気づいたわけである。という訳で久々の投稿になってしまった。書きたいことは多々あれども機を逸してしまっていたのだ。

さて、なぜプログレはリバイバルしないのか?その理由は簡単かもしれない。曲が長すぎて、この情報化されたスピード時代にそぐわないという理由だ。聴き手は、ポップスやロックで一曲10分以上ある曲なんて聴く気になるだろうか。売り手は、長くてプロモーションしにくい曲を敢えて売ろうとするだろうか。つまり聴き手視点でも売り手視点でもマイナス要素だらけなのだ。

イエスの名曲「roundabout」も約1分のイントロに始まり、サビや間奏を経て8分30秒の長さ。これでも曲としては短い方だ。

Roundabout
イエス
1971/11/26

ただ流行は移ろいやすいもの。何かのきっかけさえあれば、プログレの長い曲が生み出す「大きな物語」という魅力とともにリバイバルするかもしれない。正直プチリバイバルでもいいので、個人的にはささやかに期待しているところだ。

現にbabymetalのセカンドアルバムではプログレ要素がフィーチャーされ、音楽ファンの注目を集めていた。最近判明した新曲では別の方向性にシフトしているが、今後もバンドのテクニカルな魅力を売りにするなら、プログレ要素を維持して欲しいものである。

Tales of The Destinies
BABYMETAL
2016/04/01

では話をソフトマシーンに戻そう。そもそもソフトマシーンは今どれぐらいの知名度があるのだろうか。自分はポリスのアンディ・サマーズが参加していたという話で知ってから、とりあえず聴かねばとアルバムをチェックしたのだ。新宿のレコード店(CD全盛時代でもマニアやDJ向けに多々存在していた)を巡ると、プログレコーナーに「Third」の妙にシンプルなジャケットがよく鎮座していた。

感想はというとアンディのルーツとしてはやや印象が薄めだったが、1プログレバンドとしては何か引っ掛かるものがあって、しばらく置いてからまた聴きたくなるようなバンドだった。

今回の来日公演のセットリストは現時点で検索しても不明なのだが、恐らく知名度も含めてアラン・ホールズワース在籍時の「bundles」は演奏されるのではないか。

Bundles
Soft Machine
1975/01/01

この手のテクニカルな曲は安定した盛り上がりが期待できるだろう。だが、それが予定調和の盛り上がりに終わるのか、何らかのミラクルが起こるのかは、その時のコンディション次第。もし予定調和に終われば、プログレはやはり伝統芸能なのかと自問自答してしまうのだ。

個人的に1番聴きたいのはフリージャズの要素が感じられる初期の曲「facelift」は近年の公演でもやっているのだが、特に聴きたいのはそのイントロ部分。オルガンに下品なトレモロがかけられ、かつての機材でも圧倒的な異空間が醸し出されていた現在の機材と演奏で一体どんな響きが生まれるのか、個人的にはそれを聴きにいくだけでもよかった。

Facelift
Soft Machine Legacy
2010/11/16

現在のデジタライズ時代に、プログレの演奏技術は所謂伝統芸能になってしまうのか、あるいは機械に出来ない何かで風穴をあける可能性があるのか。ソフトマシーンのライブに行って、そんなことを考えてみたかった。

 

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